ディーン・フジオカ、日本から再び世界へ

 今世紀最高の平均視聴率23・5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録したNHK連続テレビ小説「あさが来た」の五代友厚役でブレイクしたのが、俳優のディーン・フジオカ(35)だ。女性視聴者の心をわしづかみにし、劇中で亡くなった後には「五代さまロス」という言葉まで生まれた。香港、台湾で経験を積み、ようやく日本でのチャンスをつかみ取った苦労人。役者だけでなく、ミュージシャンとしての顔も持つ多才ぶり。ベールに包まれた魅力に迫った。

 落ち着いた口ぶり、柔らかな表情。自然と雰囲気に引き込まれ、気が付けば“ディーンさま”のとりこだ。人気ぶりもうなずける。

 「あさが来た」で演じたのは、近代大阪経済の父と呼ばれた五代友厚。1月22日放送分で亡くなったが、女性視聴者の「五代さまロス」がやまなかったため、ヒロイン・あさ(波瑠)の夢の中のシーンとして、2月22日放送分で異例の再登場を果たした。

 こうした世間の反響の大きさに、ディーンは「タイミングの妙ですかね」と謙遜する。「自分がどう受け止めていられているかは、正直よく分からない。一つ言えるのは、五代友厚が、世の中に影響を与えるような偉大な人物だったということ。それだけです」

 海外での活動期間が長く、“逆輸入俳優”という言葉で例えられた時期もあったが、五代役によって、日本での芸能活動の道が大きく開いた。「少し前であれば、変わった人、と物珍しさから僕を見ていたと思う。自分の祖国で、多くの方々にポジティブな形で興味を持ってもらえるのはうれしい。自己紹介が終わったような気分。大きな達成感はありますが、ここがゴールではない。ここからがスタートだと思っています」

 高校卒業後、米国シアトルに留学し、大学生活を過ごした。大学卒業後は米国に永住するつもりだったが、「9・11」同時多発テロ事件以降、ビザの発給が厳しくなった影響もあって断念。大学教授から言われた「これからはアジアの時代だ!」という言葉に導かれるように、アジアを旅した。この世界に入ったのは2004年、香港のクラブイベントに参加したことがきっかけ。モデルとしてスカウトされ、第一歩を踏み出した。

 右も左も分からない異国の地で過ごした経験が、ディーンを形成し、大きな財産になっている。「日本では住んでいる国の中だけで仕事が成立するけど、香港ではそうはいかない。2週間に1回、中国大陸やマカオ、欧州に仕事に行っていた。ほとんど白人で僕1人アジア人、なんてこともざらにあった。多様性が当たり前の状況で生きてきた。むしろ、それが普通なんです。その時に出会った人、環境に感謝したい」

 香港で活動後は台湾、インドネシアと活動拠点を移していく。「定住地を持たず、移住生活を送る」遊牧民になぞらえ、自らを「ノマド(遊牧民的)俳優」と称する。日本で本格的に活動を始めたのは昨年に入ってから。「1年前は、日本で連続して仕事がもらえるかは分からない状況だった。連続するこの流れを断ち切ってまで、今は他の国のオファーを受けようとは思わない。この10年間くらい、広く浅くの活動になってしまったけど、1つの場所(国)で腰を据えて仕事をすることにも、すごく興味があります」

 ディーンには、ちょっとやそっとのことでは動じない精神的な強さがある。アジア圏での経験が、彼をタフにさせた。日本との違いについて「中華圏にはフレキシブル(柔軟)に対応する独自の強さがある。計画性、企画力で比較すれば、日本が格段に上。でも、物事の予定を立てられない民族性だからこそ、その時々の天気、風向きを見て決断を変えていける。身のこなしがあるんです」と語る。

 「俳優」「声優」「歌手」などの肩書はさまざまだが、こだわりがない。理由は明確だ。「世界では、国籍をいくつ持っていたって、言語をいくつ話せたっていい。それだけダイナミックなんです。そういう人たちが僕の周りに何人もいて、導いてくれた。俳優は俳優だけ、ミュージシャンは音楽だけ、決してそうじゃない。彼らが司会や映画監督、作曲をやっているのを見てきた。日本の皆さんには『俳優』として自己紹介をさせてもらったから、僕が役者以外の活動をしていたら驚きがあるかもしれない。でも、僕にとっては自然なことなんです」

 先月30日、2008年から13年までの音楽活動をつづったアルバム「Cycle」を発売した。英語をベースにした曲が多いが、日本語、中国語をミックスした「Sweet Talk」、英語と日本語の「Priceless」など多種多様。収録曲10曲全ての作詞・作曲を行っている。母親がピアノの先生だった影響で、幼少期から音楽が身近な環境で育った。中学、高校、米国留学時代にはバンドを組んでギターを担当。「ミュージシャン・ディーン」もあるべき姿なのだ。

 「人生の節目で、音楽に助けられてきた。音楽と真剣に向き合っている部分を知ってもらいたい。自分を知ってもらうきっかけの一つが、たまたま俳優だった。パッション(情熱)がある限り役者業を続けていきたいし、同じくらいの気持ちで音楽活動もやっていきたい。上手に両立させていければ」

 今年で36歳になる。これまでの人生を、遠回りだとは思っていない。「自分のやってきたことに対して、良い部分、悪い部分、全てを受け止めてやってきたつもり。人生はいい時も、悪い時もある。自分の進路、ジャッジに対して、これまでの経験を反映させてこられたと思う。過去の自分に感謝しないといけない。1つの国にとどまってキャリアを積むことはできていないけど、さまざまな国と地域で経験を積み重ねた結果が、こうして存在できていられるんだと思う」

 12年に結婚し、双子(1男1女)の父親でもある。ジャカルタに家族を残しているため、ライン、チャットでやり取りをするのが日課だが、遠く離れて暮らす家族に寂しい思いをさせているのも理解している。「これからは仕事と家族。両方がうまくいくやり方を考えないといけない」

 すでにNHKドラマ「精霊の守り人 シーズン2」(綾瀬はるか主演、17年1月スタート)の出演が決まるなど、がむしゃらに日本での芸能活動にまい進する。「エンターテインメントを通して日本の良さ、アジア人の可能性を他国で伝えていきたい」とディーン。将来、日本を代表するアーティストとして世界に羽ばたくつもりだ。(ペン・加茂 伸太郎、カメラ・頓所 美代子)

 ◆ディーン・フジオカ 1980年8月19日、福島県生まれ。35歳。千葉県内で育ち、高校卒業後に米国留学。2015年「探偵の探偵」で連ドラ初出演。16年1月期TBS系「ダメな私に恋してください」に出演。12年に中国系インドネシア人女性と国際結婚、子供は双子(1男1女)。「ディーン」はホームステイ先の父親に命名されたニックネーム。香港では「クレイジー」などの意味があり、気に入って使い始めた。180センチ。血液型A。

From スポーツ報知

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