◇李讃康先生との仏縁◇ 河 正雄 氏

霊巌郡立河美術館主催第6回河正雄コレクション特選「北韓・中国実景山水画展」が開かれている(10月4日まで)。

 

 この展覧会が開かれる契機は、最近中国からの観光客が霊巌を訪れるルートが開設され、河美術館への観覧に訪れるようになり、企画開催される事となった。元はこれらのコレクションは李讃康先生の所蔵であった。

 

 河正雄コレクションとなった経緯と李讃康先生との出会いを語りたいと思う。在日朝鮮文学芸術団体総連合会に加盟し、1953年在日朝鮮美術会が結成された。創立会員とし全和凰、曺良奎、呉林俊、金昌徳、許壎、李讃康など後に私がコレクションした作家の名が連なる。1959年在日本朝鮮文化芸術家同盟(略称文芸同)が創設された。私は1962年文芸同美術部に許壎先生の勧誘により入部した。文芸同美術部は1956年から日本アンデパンダンに一括出品しており、私は1963年第16回日本アンデパンダン展に出品した。そのとき李讃康氏の作品「舞台美術」が同室に展示されていた事を記憶している。

 

 李讃康先生はソウル生まれ、生没年は不詳。京都の須田国太郎美術研究所に入門し、油彩画を学び京都市立絵画専門学校西洋画科(現京都市立美大)に入学、後に武蔵野美術大学東洋画科を卒業した。

 

 95年第1回光州ビエンナーレが開かれていた時の事である。今は亡き車鐘甲光州市立美術館館長が「日本から李讃康先生が光州市立美術館を訪問され、本人が所蔵している北韓・中国作家作品を一部買上げて頂ければ残りは寄贈したいとの申し入れがあった。美術館には予算もなく、政治的な理由で収蔵出来ないとの旨を伝えた」と後に報告があった。

 

 その後、京都の高麗美術館学芸員から「李讃康先生が倒れられ、先生が所蔵されている作品を、高麗美術館に寄贈したいと奥様から申し入れがあった。収蔵庫も狭く、コンセプトが合わないので、よろしければ河さんのコレクションとして考えて下さい」と奥様を紹介された。

 

 「私は主人の美術活動には関心がなかった。主人が交際のあった画家達から直接コレクションしたもので皆、著名な作家です」と奥様が語られた。私はその時、李讃康先生を病院にお見舞いに伺いたいと申し入れた所、面会謝絶との事で、以来お会いする機会がなかった。1962年以後、身近にいながらも一度もお会いすることが出来なかった事はなんという仏縁であろうか。

 

 幸いなることは李讃康先生のコレクションが霊巌郡立河美術館と朝鮮大学校美術館に河正雄コレクションとして収蔵され展示活用されている事を喜びとしたい。分断の為、異文化の様に無視され遠ざかっていた北韓美術が、コレクションの対象として最近になり関心が深まり、美術価値が上昇した。美術の持つ潜在力が確認されて行くのは幸いな事だ。

 

 李讃康先生寄贈による北韓・中国作家の作品研究が進み、いずれ南北統一の橋を架ける役目を果たす事であろうと思う。我が韓半島の秀麗なる山水美を見て自尊心を抱く事であろう。寄贈下さった李讃康先生と奥様に心から感謝を申し上げる。

  ハ・ジョンウン 1939年東大阪市生まれ。韓国・朝鮮大学校美術学名誉博士。光州市立美術館名誉会長。ソウル特別市、釜山広域市、光州広域市名誉市民。財団法人秀林文化財団理事長。

ー東洋経済日報