「済州の海にすっかり夢中」…外国出身の海女たち

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「祖母の故郷・済州道(チェジュド)の海女の振る舞いを学びたい」。

 

日本の大阪に住む在日同胞3世の舞踊家シン・ヤンジャさん(40・女性)が海女になるために済州を訪ねたのは先月7日。サザエを採るためではない。14年前から始めた踊りを、海中の深いところから引き出すためだ。それで海女学校に応募した。

 

最近、済州市翰林邑帰徳2里(ハンリムウプ・クィドクイリ)にある「ハンスプル海女学校」が7回目の入学生を迎えた。2008年の初めての入学式時には定員30人をやっと満たすほどだったが、今では3倍の競争率を勝ち抜かなければ入学できないほどの人気だ。今年は78人が入学したが、シンさんのような外国出身の生徒6人も名前を上げた。

 

シンさんの一家は解放前、西帰浦市沙渓里(ソギポシ・サゲリ)に住んでいた。彼女は自身のルーツである済州女性、その中でも海女文化に魅了された。決心したついでに授業が終わる9月までは済州に滞在するつもりだ。

 

青い海が目新しく映った青い目の女性も、済州の海にすっかり夢中になった。ロシア内陸のカバロフスク出身でBelousova Snezhanaさん(37・女性)は、18歳の時に海を初めて見た。27歳までにウラジオストク湾の青黒い波を2回見たのが全て。そんな彼女にとって、エメラルド色の済州の海は輝く宝石のようだった。11年前、ソウルに嫁いできた彼女は、偶然遊びにきた済州咸徳(ハムトク)のソウボン海外の風景に惚れ込んだ。韓国人の夫と娘、2人の息子も同じだった。そして昨年7月、咸徳里に新しいくつろぎの場をつくった。ソウルで日本料理の学校に通ったほど料理に欲張りな彼女は「採取方法を学んでサザエ・ナマコなどの海産物を家族にできるだけ食べさせてあげたい」という抱負を語った。

 

結婚してベトナムから移住してきた女性キム・ジソンさん(28・女性)は、2007年に済州に嫁いできた。彼女は「嫁にきて7年を超えたが、いまだに韓国語は難しい」と話した。だが採集を学ぼうという意志は誰にも負けないといった。彼女は海女のドキュメンタリー番組を見て学ぶことを決心した。ベトナムの家の前にあった川で魚を捕まえた経験が彼女になぜだか分からない自信を与えた。今回まともに採集を習って職業海女になる目標を立てたという。「お金を稼げるようになったら実家の両親と一緒に暮らしたい」。

 

済州の海女への外国の関心は彼女たちだけではない。先月29日、済州フォーラムに参加したギラード元豪州首相は行事の途中で海女の話を聞いて関心を示した。忙しいスケジュールの合間を縫ってでもわざわざ車に乗って平城(ピョソン)海岸に出向いて海産物を採って出てきた海女カン・ポクセンさんに会って話題になった。

^ 中央日報から