日本を代表する建築家・安藤忠雄氏。軸足は生まれ故郷の大阪に置きながら、事務所収入の80%は海外だという。独学で建築を学んだ安藤氏は、人材育成についてどう考えるか。
──画一化された学校教育、横並び意識が日本の弱さとよく言われる。
安藤:どんな仕事でも“戦場”は世界です。「世界と交流したい」とは、言い換えるなら「世界で戦う」ということです。建築の分野は特にそうです。クライアントは国籍や人種で仕事を依頼してくるわけではないですから。そこで感じるのは、世界で求められるものが変わり続けているということ。国内だけでのんびりやっていては追いつけません。他の業界も同じでしょう。
画一的な人材は百害あって一利なしです。これでは世界で戦えない。ところが日本人はいつまで経っても右へ倣え。自分から横並びを選んでいるように思えます。
私は最近、大学や高校で講演する機会があると必ず、「1980年以降生まれの若者はダメだ」と言っているんです。1980年代からバブル崩壊まで、日本人は経済的豊かさを享受してきました。その結果、大人は豊かさに胡座をかき、子供を過保護に育てた。野性味や個性を失った若者は自分で物事を判断できず、社会に出れば使い物にならない。実感としてそう感じるのです。
辛辣な言い方ですが、聞いている若者のせめて1~2割でもいいから、反骨心で立ち上がってくれないかと秘かに期待しているのです。
──若い人材を育てることがますます難しくなっているとも言われるが。
安藤:うちの事務所の若い人たちだって、入った時点では多くが”使えない若者”です。だから私は厳しい態度で接します。
いくつかのことを半ば強制しています。ひとつは読書。毎週月・水・金の3日間、1時間ずつ本を読む時間を設けています。私が「これを読みなさい」と本を指定して、仕事中に読ませています。日々学ばなければ世界に置いて行かれるからです。
世界が戦場ですから英語も必要です。6~7年前からネイティブの講師を招いて週1回2時間ほど勉強会をしています。最初は英語なんてできなかった人でも、続ければずいぶん変わるものです。最近では英語でのプレゼンテーションもできるようになってきました。
──安藤さん自身は、どうやって学び取ってきたのか。
安藤:人生、戦い続けながら同時に学び続けています。高校時代はボクサーを目指していました。プロのライセンスを取得し、6回戦まで行った。そんなある日、うちのジムにファイティング原田さんが練習に来ました。19歳で世界フライ級王座についたヒーローです。向こうが2つ年下でしたが、その練習を目の当たりにし、才能の違いを痛感してボクシングの夢は断念しました。
では自分には何ができるのかと問うて、建築と出会った。建築という目標を持ったからこそ今の自分がある。ちなみにこのSAPIOの取材の前に原田さんのジムを訪ねてきましたが、「今のままでも4回戦行けるよ」と言われました(笑)。
でも建築を志してからが大変でした。学歴もない。経験もない。昼間は働き、夜は通信講座と読書で建築を学びました。そして22歳の時に日本中の建築を見て回り、24歳で今度はヨーロッパ、アフリカ、アジアの建築を見て回りました。この時の経験が大きな糧になっています。ボクシングも建築も根は同じです。大事なのは「体力」。肉体的な力だけではありません。「知的体力」も必須です。このふたつの体力を磨き続ける。それが私にとっての「学び」であり、エネルギーの源です。
※SAPIO2014年5月号